まずはじめに、学校に行っている人たちを否定する文章ではありません。
ただ学校に行く自由はあるのに、行かない自由は無いことに子供のころから違和感を感じておりました。
私が中学生の時は「登校拒否」と言われていましたが、現在では「不登校」と言われております。
その経緯や定義はそれほど問題ではありません。確認したい方のためにリンクを添付しておきます。
不登校という学校
ここでは義務教育課程の小・中学校について考えたい。
よく「なんで勉強が必要なの?」、「公式なんて役に立たない」と聞く。
大人になったらその疑問が解決できるかと思ったが、、、現在も分からない。
もちろん、明確な目標があり(医者になるとか)その過程で必要な時もあるが、みんなが必要としているスキルではない。また、その後も公式が必要となる機会も少ない。
多くの人がこの疑問に何とか答えようとしているが、しっくりくる答えはない。
答えの無い疑問なのかもしれない。小・中学校の国語、算数、理科、社会の問題で複数回答あり、または回答なしの問題はない。むしろ、それを作成したら悪問と言われてしまう。
テストや受験では良問を出さないといけないが、 世の中には悪問と言われるケースの方が多い。ただ、答えの無い事を教えるのは難しい。先生たちも日々、子供たちのためを思って教育して下さっているため、 先生たちができないことを責めるつもりはない。むしろ、家庭で出来ると自分は思っている。
よく父親に「どうしたらいいかな?」と聞いた事があるが、返答はいつも「自分で考えなさい」だった。その時は何も教えてくれないと感じたが、大人になって分かった気がする。
「自分で考えて生きる」ってことを。
自分の場合は普通に学校に通っている時より、不登校になったことでいろいろ考え、経験することで学ぶことができた。もちろん、学校に通いながら考えることもできる人はいると思う。
何度も言うが学校に通っていることを否定しないし、不登校をすすめているわけでもない。不登校の中には、本当は学校に行きたいと思っている子供たちも多いと思っている。自分もそうであったように。
学校に行かなくても学ぶ事が多く、それをどう咀嚼し反芻し嚥下するかで今後の糧となり、みんなの人生を楽しくしてくれると思っております。それが学校では教えてくれない、あたらしい学校と思っています。
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